艦隊これくしょん講堂

史実で艦これ

艦これ小學堂 - 史実上のスリガオ海峡夜戦七:挟み撃ち、第56駆逐中隊

第56駆逐中隊と巡洋艦、戦艦群の砲撃は同時的ですが、ここでは別々で記入します。


第56駆逐中隊は以下のように三小隊に分けて南下します。
右側に担当する第二小隊:
USS Robinson (DD 563)、USS Halford (DD 480)、USS Bryant (DD 665)
中央に担当する第一小隊:
USS Newcomb (DD 586)、USS Richard P. Leary (DD 664)、USS Albert W. Grant (DD 649)
左側に担当する第三小隊:
USS Heywood L. Edwards (DD 663)、USS Bennion (DD 662)、USS Leutze (DD 482)


お先に攻撃したのは右側の第二小隊で、03:55分の時に距離8,400-9,000ヤードの所で15枚の魚雷を発射しましたが、命中がなくて、そのまま北へと退避しました。3分後、左側の三隻の駆逐艦はより近いの位置(距離7,800-8,000ヤード)で魚雷を発射しましたが、同じく命中がなく、その後西へと退避しました。


中央の第一小隊はできる限り日本海軍との距離を接近し、6,200ヤードの所で山城へと15枚の魚雷を発射しましたが、それでも命中がありませんでした。
(*各駆逐艦の魚雷数は5枚です)

今回第56駆逐中隊の攻撃は何の戦果も得ていないのは、03:55-04:00の間に西村艦隊残りの三隻は急速方向変更し南下していましたから、駆逐中隊当時予測した射程範囲が外してしました。


04:11分の第二次魚雷攻撃の中、山城はUSS Newcombの魚雷2枚を被雷し、これも第56駆逐中隊最大な戦果でした。


(*魚雷が外したもう一つの可能性は、当時第56駆逐中隊の目標は全部山城に集中しましたため、魚雷発射の深度がやや深くなり、その理由で3枚の魚雷は時雨の船底にそのまま通しました。)

艦これ小學堂 - 史実上のスリガオ海峡夜戦六:襲来、第24駆逐中隊

西村艦隊第54駆逐中隊と遭遇後、二つの小隊を分けた第24駆逐中隊は25ノットのスピードで前進し、日本海軍へと攻撃し始めました。


この時の西村艦隊が残った戦力最上、時雨山城は北へと前進し続け、左方面から接近してきた第24駆逐中隊を気づいていないようです。25日03:25分、第二隊のKillen、BealeAruntaはいつものように攻撃前に煙幕をあげ、西村艦隊14枚の魚雷を発射しました。その中、Killenからの魚雷は一発山城に命中しました。


同時に、日本海軍の後ろから接近してきた第一隊のHutchins、DalyとBache15枚の魚雷を撃ちましたが命中がありません。そのため、03:50分にて目標を変更し、USS Hutchinsは行動できない満潮朝雲へと5枚の魚雷を発射し、満潮を撃沈しました。


USS Hutchinsはフレッチャー級駆逐艦(Fletcher class)の中で一番早くCIC(戦闘指揮所)を搭載されていた駆逐艦のため、この戦役でもCICを通し、連合軍の全員へと両軍の戦況を統合して報告しました。


この時、西村艦隊は連合軍の巡洋艦隊や戦艦群との距離は近いため、巡洋艦右側の指揮官Berkeyは主砲で日本海軍と交戦していた第24駆逐中隊へと即撤退の命令を出しました。

艦これ小學堂 - 史実上のスリガオ海峡夜戦五:悪夢、第54駆逐中隊

時間は02:38分、 第54駆逐中隊所属したUSS McGowanSGレーダー西村艦隊の居場所を掴み、中隊は小隊へと二つに分けて24ノットのスピードで南下しました。右側のMelvin、McGowan、Remyが先行し、左側のMonssen、McDermutはその次に出発し続き、日本海軍を左右から挟み撃ちにしました。


第54駆逐中隊は南下し続けながら、西村艦隊の位置を報告する同時に、25日02:52分にて、西村艦隊も後方にある連合軍の巡洋艦隊のレーダーに映しました。その時、日本海軍は連合軍の巡洋艦隊との距離は約47,900ヤードです。


時間は02:56分、西村艦隊は右側にある3隻の駆逐艦を発見しました。02:59分はお先に手前のUSS Remyを照らし、集中砲撃をしました。その時、右側担当の3隻の駆逐艦も距離8,000-9,500ヤードの所まで接近し、煙幕をあげて西村艦隊へと計27枚の魚雷を発射しました。(* Remyは山城を狙い、MelvinMcGowanは扶桑を目標としました)


何故か、西村艦隊は右側からの攻撃を回避せず、爆音とともに、扶桑はMelvinの魚雷に中てらて、その後約03:38分の時火薬庫の爆発により、船体が2つに折れて沈没しました。


右側の攻撃が始めたばかりに、25日03:04分、混乱している西村艦隊USS West Virginiaのレーダーに映し、距離は42,000ヤードです。また、この時に第24駆逐中隊も南下していました。


03:11分にて、近づいてきた左側の駆逐艦McDermut、Monssen西村艦隊へと魚雷を発射し始め、日本海軍も回避しながら迎撃しました。あいにく、山城はMonssenの魚雷に命中されて、誘爆の危険性があったため緊急に第5、6砲塔の火薬庫に注水しました。


一方、McDermutが発射した魚雷は満潮、山雲、朝雲に命中しました。



山雲は直接爆発して沈没し、満潮や朝雲の艦首は爆発により切断され、戦闘や航行不能になりました。


第54駆逐中隊との戦いを経て、西村艦隊は半分以上の戦力が喪失しましたが、それはただこれからの攻撃の序章でした。
(*第54駆逐中隊の戦績はこの海戦で一番良いのは事実ですが)