艦隊これくしょん講堂

史実で艦これ

艦これ小學堂 - 史実上のスリガオ海峡夜戦四:魚雷艇、次から次へと ②

連合軍の第六魚雷艇艦隊西村艦隊が海峡の南面に入る前にこっそりと接近するつもりでしたが、そのうち3隻の魚雷艇は部隊とはぐれましたため、各別行動で日本海軍の敵影を探索しました。


部隊とはぐれたPT-137/132は01:42分の時に西村艦隊を発見しました。距離1000ヤードの所から魚雷を発射しましたが、命中しませんでした。しかし、今回の攻撃の中、日本海軍は01:33分の時すでに魚雷艇を発見しました(*戦闘詳報では魚雷艇発見の報告が記入しています)が、回避や迎撃の行動もせず、米軍でもおかしいと記載していました。


また、遠方にある第八魚雷艇艦隊はレーダーで西村艦隊の位置を見つかり、主力部隊へと報告しました。


ところが、西村艦隊は敵船と遭遇したら基本的に照明弾や探照燈を使用しますので、一定的な距離外でも日本海軍大体の位置がわかります。そのため、前部隊とはぐれた第六魚雷艇艦隊の旗艦PT-134はそれに沿って、西村艦隊の場所を主力部隊へと報告し続けて、海峡の南口までについてきました。

25日02:05分、PT-134西村艦隊の後方3000ヤードから魚雷を発射しましたが、有効射程の範囲外のため、命中しませんでした。西村艦隊の前進方向は02:02分から北へと調整してたら、断続的な豪雨が降り始め、西村艦隊は視野が悪いの中で、前方にある連合軍第九魚雷艇艦隊はそれをきっかけにして、日本海軍に接近してきました。


PT-491/493700ヤードまで、PT-490はさらに400ヤードへと近づき、3隻の魚雷艇の攻撃に対して、西村艦隊も発砲して反撃しました。魚雷艇の魚雷は全部外れていて、一方PT-493は砲撃に命中され、3名が死亡し、他の人は脱出した後に魚雷艇が座礁して沈没しました。


第九魚雷艇艦隊の攻撃開始3分後、第八魚雷艇艦隊は02:13分の時に機会に乗じて、西村艦隊の東方向から行動し始め、3隻の魚雷艇は最上(2000ヤード)に全部の魚雷を発射しましたが、命中しませんでした。



ここまでは魚雷艇の攻撃が一段落を告げましたが、西村艦隊の悪夢はこれからでした。

艦これ小學堂 - 史実上のスリガオ海峡夜戦三:魚雷艇、次から次へと ①

西村艦隊はボホール海に入る前に、重巡洋艦最上の水偵偵察によって、前方にて一定的な数の魚雷艇が発見しました。そのため、艦隊を二つに分けました。


 掃蕩隊:最上、山雲、朝雲、満潮
 主力部隊:山城(旗艦)、扶桑、時雨


掃蕩隊は先行して、主力部隊の前方20Kmのところで魚雷艇の探索や迎撃を実行し、時雨は主力の護衛を担当します。この考え方は基本的に問題がありませんが、あいにく、最初に魚雷艇と遭遇し、攻撃されたのは主力部隊でした。


時間は24日の夜22:36分、第一魚雷艇艦隊のレーダー(SOレーダー)が西村艦隊の主力部隊を探知しました。第一魚雷艇艦隊は24ノットのスピードで突撃し、夜22:52分の時に時雨に気づかれて交戦し始めました。


魚雷艇の魚雷有効射程は僅か1000ヤードのため、敵艦が気づかれていた時点では、接近することがかなり難しいです。第一魚雷艇艦隊のPT-130PT-152は時雨の砲撃に命中され、PT-130への砲弾は直接貫通しましたが、PT-152への攻撃は1死3負傷の損傷をもたらし、魚雷艇も損傷しました。


よって、戦闘中で無線電信を壊れたPT-130/131は急速に西村艦隊の射程範囲から離れ南下し、第二魚雷艇艦隊と合流してから、(下図の)AGP-8支援艦を通し、 二隊のPT-127は電文でスリガオ海峡北海岸の連合軍に報告しました。(通信時間は00:27)

USS Wachapreague(AGP-8)魚雷艇の支援艦


*魚雷艇の位置は主力部隊と遠く離れていて、直接連絡は不可能のため、後方の主力部隊へと報告する際に、電文は後ろに配置されていた支援艦を通さなければなりません。


一方、 掃蕩隊も10月25日の00:18分頃に連合軍の第三魚雷艇艦隊と遭遇し、敵艦の攻撃を受けました。敵艦PT-151/146は攻撃しましたが、掃蕩隊の被害がなく、PT-190は攻撃していません。今回の対戦に気兼したため、西村艦長は艦隊の合流を命じて、第二索敵配備の陣形と変更し、進攻をし続けました


第二索敵配備

艦これ小學堂 - 史実上のスリガオ海峡夜戦二:両軍正式接触前

西村艦隊は10月22日から出航し、スル海(SULU SEA)を経由してスリガオ海峡へと移動します。10月24日は連合軍に見つかれて、午前9時30分にて敵艦載機の空襲に合いました(約20機)。それ程の損傷はありませんが、連合軍は西村艦隊の意図を気づかれ、西村艦隊は南方からレイテ島に突入することを確認した上で、連合軍は戦艦、巡洋艦や駆逐艦などを急配し、スリガオ海峡の北海岸にて日本海軍を迎戦しました。


上図のように、第54駆逐中隊(DESRON54)元からの任務は敵潜水艦の侵入を防止することで、最初からは既に配置されています。それ以外のは急配され支援して来た各中隊です。


X-Ray中隊は連合軍戦艦への護衛や対潜を務め、必要でない場合には基本的に迎撃しません。また、防衛線は両側に分け、右側の地形は狭いし、水深は浅かったため、大型船が行動しにくいので、連合軍は駆逐艦2隻しか配置されていません。


ところが、連合軍の支援部隊は殆どSGレーダーを搭載されています。

このレーダーはPPIスコープと合わせて使えれば、夜でも日本海軍の位置が分かります。しかし、西村艦隊は海峡に入る前の動向は知りません。


それに、夜戦可能な米空母インディペンデンス(USS Independence CVL-22)は北方面の戦場へと支援しに行きましたため、連合軍は手元にある魚雷艇( PT-boat )をスリガオ海峡南海岸とボホール海(旧名ミンダナオ海)との所に分散配備し、哨戒や日本海軍の位置を報告が第一優先で、攻撃はその次です。


* 当時連合軍のSCレーダーと日本海軍の22号対水上電探は海峡両側にある島嶼の関係で、機械の状況は良くありません。

魚雷艇( PT-boat )配置図